参加者

《東京六華同窓会》
助川敏弥(中53)
田村 功(南8)
佐藤洋一(南9)
吉信恵理子(南15)
枝広 恵(南16)
黄野和子(南20)
阿部利男(南21)

《六華同窓会》
滝沢充雄(中43)
藤本栄松(中43)
福山達彦(中44)
小菅高之(中47)
澤田三尚(中51)
三角智一(中52)
鈴木秀明(中52)
清水昭典(中52)
入江俊三(中52)
奥村桂治(中52)
吉田 安(中53)
斉藤忠一(中53)
土谷勝夫(中53)
山本晋也(中53)
樋口 武(中53)
水戸重光(中53)
池田利一(高2)
今井康利(南2)
市ノ原耿民(南3)
後藤康之(南5)
永喜多宗雄(南6)
梶原滋朗(南8)
古川善雄(南8)
河崎 潤(南8)
吉田紀昭(南9)
橋本修二(南9)
古川正徳(南11)
松本良一(南16)
山中綾子(南28)
門脇 繁(南29)
   

《元教員》
中川紀一朗

札幌一中校歌<復元>フォーラムの報告   佐藤洋一(南9) 記

開催日時  平成16年9月5日(日) 午後1時〜3時
会 場    札幌南高校 百周年記念館(研修室)
主 催    六華同窓会
        東京六華同窓会

会議内容
写真:挨拶する古川幹事長、隣は助川さんと田村さん  フォーラムは吉信恵理子さん(南15)の総合司会で始まった。六華同窓会・古川幹事長(南8)の開会あいさつにつづき、東京六華同窓会・田村幹事長(南8)がフォーラムの開催趣旨を説明。




<楽譜は「混乱型」を排す>  討論ではまず助川敏弥さん(中53)が基調発表。現在存在する楽譜の「原典型」、「現行型」と「混乱型」の差異について説明。「原典型」は作曲家の楽譜が存在しないため、『南高百年史』編纂時に、校歌が発表された明治38年直後に札幌一中に入学した祖父や叔父をもつ村山ケイ子さん(札幌在住)が資料提供した楽譜を「限りなく原曲に近い」ものとして「村山ケイ子版」としてきちんと<保存>することにする。
 一中校歌は明治38年に発表されたあと、一中生に歌いつがれていくうちに、歌いやすくするために楽譜自体も一部変わったと思われる。これが「現行型」である。これを助川、小菅高之(中47)両氏が採譜したところ、まったく同じ楽譜となった。今後、この楽譜を作詞・作曲家名の下に「小菅高之・助川敏弥採譜」と表記して、六華関係の各種印刷物にはこれを採用する。
出典のまったく不明な「混乱型」の楽譜は今後、一切使用しない。
なお、「原典型」の楽譜は復元保存されても、「歌い方」はこれまでと同じ「現行型」でも問題はない。
写真:田村さん(左)と小菅さんn(右)
<歌詞の「音節」と「抑揚」>
 田村功さん(南8)は、一中校歌の「音節」と歌詞の「抑揚」について発表した。歌詞一番の「富源」を、「ふーげん」と歌うか、「ふげんー」と歌うかについて、後者が本来の歌い方であったことを論証した。また大和田建樹の歌詞の完成にあたって石森和夫が手を加えたのではないか、という説については多くの参加者は「客観的に無理がある」として、否定的であった。

約2時間にわたっての熱い議論は、<復元>と<保存>について客観的な資料にもとづいての結論を得た。この間、一中卒生だけでなく南高卒生も議論に加わり、一中校歌が六華同窓生全体の文化財産であることを確認した。

   

 配布資料
    『一中校歌の研究』(助川敏弥)
    『歌詞の音節・抑揚から一中校歌を考察する』(田村功)
    小菅高之さんの論文(『藻岩』より)
    清水昭典さんの論文(『南高100年史』より
    当フォーラム開催に関する北海道新聞記事
    東京六華同窓会会報
    ほか

 関連サイト
   助川敏弥さんのホームページ・・・・・『一中校歌の研究』